株式会社ディー・エル・イー 代表取締役社長CEO&Founder
椎木 隆太


1991年4月ソニー株式会社入社。 シンガポール駐在やベトナム支社長を経て、帰国後に株式会社SPEビジュアルワークス(現ANIPLEX)海外ライセンス部門長へ就任。 2001年に退職し、有限会社パサニア(現:株式会社ディー・エル・イー)を設立。 Warner Brothers Animation社やCartoon Network社とのプロデューサー契約、世界的大手玩具メーカーであるHasbro社と資本・業務提携契約を次々と締結。 また、TransformersやGI JOE等、数々の世界的な大人気TVシリーズのプロデュースを手掛ける。 日本のアニメ業界では初の米国プロデューサー組合会員。 2012年7月よりDLE-ERA(台湾)取締役就任(現任)。 同年11月よりDLE America(米国)代表取締役就任(現任)。 福岡県知事顧問。

企業が成長を果たすとき、経営者はどのような決断をしたのか?
そのポイントは何だったのか?
成長のヒントを探るべく
当社代表の須原伸太郎が経営者に迫ります。

2014年3月、東証マザーズへの上場を果たした株式会社ディー・エル・イーは、
国内で最も注目を集める映像コンテンツ制作会社です。
代表的なコンテンツは「秘密結社 鷹の爪」シリーズ。 NHKでの全国放送をはじめ映画化もされました。
コンテンツ&キャラクター権利を軸とした21世紀型の映像コンテンツ及びキャラクター会社として、
世界No.1のビッグプレーヤーを目指すと語る椎木隆太社長に、これまでの軌跡と、
そして今回特別に、中学生で起業した椎木里佳さんの父としてもお話をお伺いしました。

コンテンツエリア1
盛田昭夫さんが経営者としてのお手本。
須原

大学卒業後、新卒で入られたソニー。 なぜ、選ばれたのですか?

椎木氏

私は小さな頃から起業することが夢でした。 でも大学時代は遊びほうけていて、起業するネタもない。 だから社会に出て2〜3年は勉強しよう。 起業のための勉強をするなら、一番あこがれている起業家であるソニーの盛田昭夫さんの元で働こうと。

須原

当時の経営陣は?

椎木氏

井深大名誉会長、盛田昭夫会長、大賀典雄社長という体制でした。 入社式での盛田さんのインパクトがものすごくて。 会長挨拶のときに、大きな会場の後ろのドアがバッと開いたと思ったら、盛田さんが新入社員の間を颯爽と走り抜けて舞台へ上がった。 70歳代にはとても見えない。 もうスターですよね。 これがソニーだ、これが経営者だと思いました。 盛田さんは今でも私のお手本です。

須原

起業が夢ということは、もともとご家族が経営者だったのですか?

椎木氏

父は小さな写真館を営んでいましたが、父方は芸術一家で、母方は医者一家。 だから幼い頃は、会社員が何をしているのかも想像がつかなくて。 朝から晩まで奴隷のように働かされる怖い仕事だと勝手に妄想していました(笑)。 だから、自分で会社を作るしか選択肢がなかったということなんです。

須原

でも、ソニーの会社員になった(笑)。

椎木氏

はい(笑)。 でも、会社員ってこんなに面白いんだと逆に驚きました。 当時のソニーは世界を熱狂させる製品があり、本当に世界の隅々まで席巻していました。 そのダイナミズムを肌で感じることができたことは非常に貴重な経験でした。 起業を希望する方は、起業する前には、こういった世界的な企業でしか味わえない経験はしておいたほうがいいと思っています。 ベンチャーで世界を熱狂させる経験をすることは難しいですから。

須原

それはあると思います。 ベンチャーの世界ではややもすると、大企業はダメ、スピードが遅い、成長を阻害する障壁が多いなどの一方的な論調になりやすいのですが、大企業には大企業の良さがあります。

椎木氏

私は入社5年程度で海外支社長を、7年目くらいには部門長まで経験させていただきました。 ソニーでの経験やビジョンを参考にさせてもらって、起業して上場もできました。 大きな会社での会社員とベンチャー経営者、両方経験したことで、本当に視野やマインドがリッチになったと感じています。

コンテンツエリア2
とりあえず起業してしまおう。
須原

椎木さんはソニーの黄金時代を経て、まるでソニーの申し子のように育たれ、大舞台で活躍されていましたが、順風満帆のビジネスマン人生で、起業というスイッチを押すタイミングはどこにあったのでしょうか?

椎木氏

ソニーを辞めたときは誰にも理解してもらえませんでした。それはそうです。 入社同期の中でも1番の出世をしていました。社長賞などもいただいて、私自身も仕事が楽しくて、おまけに2人の子どもいて公私共々何も不満がなかった。でも、一方で僕の中で35〜45歳の10年間がゴールデンエイジと定義していて、ここで勝負しなければいつするのかと。 また、ソニー時代は自分の7割程度の力しか出していなかったので、このままだと自分が錆び付いてしまうという焦りもあって、ゴールデンエイジに差し掛かる34歳の時に起業する決断をしたんです。

須原

すべてがうまくいっている環境下で飛び出すのは、相当な勇気でしたね。 では、エンターテイメント業界が抱える過剰労働や低賃金という問題を変えてやろう、と言う大志を抱いて起業された?

椎木氏

いいえ。 それは起業してから考えたことです。 とりあえずは、起業しようと。

須原

ソフトバンクの孫さんや楽天の三木谷さんのように数多の事業を並べて、比較検討して出発したのではなく、まずは起業してしまおうと。

椎木氏

そうです。 そこからソニー時代の後半に携わったエンターテイメント業界の弱みや強みを踏まえたうえで、外様の仕掛人として、ビジネスが成立するようにと考えたのです。 それによって業界の流れが変わるのではないかという思いもありました。

須原

私が初めて椎木さんにお会いしたのは起業されて3年後くらいの2004年頃でした。

椎木氏

あの当時は私の暗黒期の終盤で、ようやくひとすじの光が見えてきたのは2005年の終わり頃、フラッシュアニメーションの工場をつくろうと動き出したときです。

須原

FROGMANこと、クリエイターの小野亮さんが参加されたときですね。

椎木氏

はい、ちょうどパソコンで動画や、携帯電話でフラッシュアニメを見ることができる環境になってきた時代でした。 ケータイで面白かったり、可愛かったり、刺激的な良質な動画コンテンツが見れれば、それも何百万人の方が毎日見てくれれば、これはお金になるぞと。 でも映像は原価がかかる。 フラッシュアニメなら原価も抑えられる。 しかし、フラッシュアニメ1本あたりの売上も掛けられる原価もたかが知れています。 だったら数を増やそう。 1年間で何万回も打てば、ローリスクでミディアムリターンが期待できるビジネスモデルになるかもしれないと考えたのです。 そのためには速く面白い作品がつくれる作家さんが必要でした。

コンテンツエリア3
世界最速のアニメ工場で突破。
須原

そこからクリエイターさん探しが始まったんですね。

椎木氏

そうです。 面白い作品をつくる作家さんはたくさんいるのですが、私たちのビジネスモデルでは機関銃のようにつくらないと成り立ちません。 世の中的にも“速くて”“面白い”コンテンツでなければ拡散はしないでしょう。 そこで出会ったのがFROGMANだったんです。彼の面白さはもちろんお墨付きでしたが、彼は「スピードには自信があります」と言ってくれました。 それは私たちが探し求めていた作家さんでした。 FROGMANも「僕のスピードを評価してくれたのは椎木さんが初めてです」と、たくさんのラブコールの中から私を選んでくれたのは、その理由が大きかったのです。

須原

スピードに目をつけたことが御社のブレイクスルーにつながったんですね。 そのアイデアは、ソニー時代のITリテラシーやコンテンツに対する目利きや、起業して苦しまれた時間などが、三つ編みのようになって出てきたものですか?

椎木氏

おっしゃる通りです。 それまでの経験と試行錯誤の末、ある朝シャワーを浴びているときに閃きました。 ITインフラが進化していく中で、スピードとクリエイティブを兼ね備えた、世界最速のアニメ工場ができれば突破できると。

須原

そしてFROGMANさんと相思相愛になることができた。

椎木氏

もちろんFROGMANもスピードに加えて、彼が当時悩んでいた個人で仕掛ける限界や、来年どうなるか分からないという恐怖感というものを、私たちのビジネスモデルで解決できた部分は大きかったと思っています。

須原

では、現在の御社につながるコンセプトが2005年に固まり、そこからIPOまではスムーズに成長していったと……。

椎木氏

いいえ、そこからもめちゃめちゃ苦労はありました(笑)。 2010年頃に1度IPOを目指したのですが、その時は上場どころか真っ赤っかな決算で債務超過に近い状況になってしまい、しかも、キーパーソン連中が一気に辞めていってしまったんです。

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引き寄せる力で苦難を越える。
須原

では、その危機をどう乗り切ったのでしょうか?経営者がリーダーシップを発揮し続けなければ、組織の成長を阻む危機を乗り越えられない、というハーバード大学の学説※がありますが、椎木さんのリーダーシップは何が強かったのでしょうか?

椎木氏

強さという点で言えば、引き寄せる力が強かったのではと思います。 FROGMANとの出会いもそうですが、必要なときに本当にこのうえない運やご縁があって、幾度となく助けられました。 そういうときには必ずと言っていいほど神風が吹くんです。 では、なぜそうした引き寄せる力がつけられるのか?これは私たちの経営理念の中にもあって、いつも社員に話していることですが、「感謝」「謙虚」「全力」この3つを実行して運を引き寄せろ、と。 この3つを胸に、実際に運や勝利を引き寄せ、社員にその重要性を理解させること ができた。 これが私のリーダーシップの成果かなと思っています。

須原

分かりました。 では、現在、株価収益率40倍前後で投資家からの期待も厚い御社の今後の展望をできる範囲で教えていただけますか?

椎木氏

はい、詳しくはお話できませんが、日本とアジアのクリエイターを世界へ羽ばたかせたいと考えています。 日本は欧米へ、アジアは日本と欧米へ。 その橋渡しを世界の非常に有力なメディアと提携して実現する予定です。 その足がかりとして、11月1日から全国のTOHOシネマズで「キャラクターバトルクラブ」という幕間を利用した様々な国のクリエイターがつくったショートムービーの公開が始まりました。 ここで集まったクリエイターたちを私たちが世界へ連れていきたいと思っています。

須原

やはりソニーが根っこにある椎木さんがつくるディー・エル・イーは、当時のソニーと同じような組織や雰囲気になっていくのでしょうか?

椎木氏

それは今も会社づくりの骨格になっています。 私たちが掲げている経営ビジョンの中にある「世界中の人々から愛され、多くの日本人が誇りに思ってくれる、特別で重要な『ブランド』となります。」というのはソニーがまさにそうでしたし、私たちはそこまで行きたいと思っています。 規模的には無理かもしれませんが、特定のジャンルに際立って、世界中の人に「すごい!」と思われたいです。

須原

ありがとうございます。 では、全国の経営者の皆さんへ向けてメッセージをお願いできますか?

椎木氏

実は当社で力を入れているのは国内でも特に地方なんです。私が県知事顧問をさせていただいている福岡県のGDPは18兆円です。 これはアジアの1カ国と変わらないマーケット規模。 しかもテレビCMの放映権料はとても安く、シンガポールと比べたらマーケティングコストは約1/100で済んでしまいます。 もちろん地方にはまだファイナンス機能が整っていないなどの問題もありますが、私は地方でチャレンジしない理由はまったくないと思っていますので、ぜひ地方の皆さんにチャンスはたくさんあるとお伝えしたいです。

 

中学生起業家の父として。
須原

最後となりますが、椎木さんのご長女、中学生で起業した里佳さんの父として、世界に比べてとても低いと言われている日本の起業率について何が問題だと思われますか?

椎木氏

メンタルブロックがかかっていることが問題ですね。 日本は“足るを知れ”的な美徳がありますので、家庭も学校も社会も起業して稼ぐということに否定的です。 その点、うちの娘が起業したのは、起業するという選択肢が人生にあるということを親の私が小さい頃からインプットしていたからだと思うんです。

須原

ソニーを辞めて独立を果たした父の背中を見ていた。

椎木氏

そうですね。 だから、1番手っ取り早い解決法は、安倍総理が優れた起業家を官邸に呼んで「日本の成長は君たちにかかっている」と話している食事会の様子をメディアで拡散すればいいんです。 そうすれば子どもたちは、起業家ってエラいんだ、社会に貢献しているんだと認知されて、メンタルブロックも外れる。

須原

その意味では里佳さんのご活躍は、子どもたちにとって大きな指針になりますね。

椎木氏

そうですね。 例えば、家庭の中で「あの子、起業家なんだって。起業家って何?」という会話が始まるだけでも大きな貢献だと思います。

須原

里佳さんの社名は株式会社AMFですね。 たしか、好きな言葉の頭文字を取ったとか?

椎木氏

先ほども申し上げましたが、ディー・エル・イーが大事にしている「感謝」「謙虚」「全力」の英語の頭文字を取っています。 「パパがいつも言っていた言葉だよ」と聞かされて、私は号泣(笑)。

須原

素晴らしい。 父親冥利につきますね(笑)。 本日はどうもありがとうございました。

編集後記

ハード(製品)に比して、ソフト(コンテンツ)が弱いとされてきた日本ですが、アニメーションに関しては、“ジャパニメーション”という造語が生れるほどに、日本が世界をリードする分野になりました。 IT業界の流れ、ハードの進化、コンテンツ業界の構造。これらを有機的につなげて思考した結果、ある日、椎木さんの中で閃いたフラッシュアニメーションの高速回転モデル。 思いつきそうで、思いつかなかった、「バカな!」と「なるほど!」のビジネスモデルとも言えるでしょう。 ディー・エル・イーを起業した椎木さんの原点は、やはり、“自由闊達にして愉快なる理想工場”を目指したソニーにあったようです。 ジャパニーズクールの先頭をいくディー・エル・イーが、今後どのようなサプライズを我々に提供してくれるのか。 愛娘であり、起業家としてライバルでもある里佳さんの成長とあわせて、楽しみにしています。

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