株式会社ヒューマンウェブ 代表取締役社長
吉田 琇則


1967年生まれ。岩手県盛岡市出身。大学時代のアルバイトをきっかけに、大手ディスコチェーン「マハラジャ」の運営会社に就職。1994年、大型クラブ「ヴェルファーレ」の立ち上げに参画し、店長を経て運営会社である株式会社ヴェルファーレの代表取締役に就任。その後、親会社であるエイベックス株式会社で会長秘書などを務める。2000年、それまで日本にほとんどなかった“生牡蠣(かき)”の専門店である「オイスターバー」に目を付け、独立起業し、株式会社ヒューマンウェブを設立。現在、牡蠣の種苗・生産から販売まで一貫して自社で行う体制を構築。2015年3月19日に東証マザーズへ上場を果たす。

企業が成長を果たすとき、経営者はどのような決断をしたのか?
そのポイントは何だったのか?
成長のヒントを探るべく
当社代表の須原伸太郎が、時の経営者に迫ります。

2015年3月、東証マザーズへ上場を果たした株式会社ヒューマンウェブは、
牡蠣(かき)の種苗生産から育成、販売までを一貫して行う国内最大級のオイスターカンパニーです。
ガンボ&オイスターバーをはじめとした直営飲食店10ブランド27店舗(2015年3月末時点)の運営と、
安全性の高い牡蠣の研究、国内産地の開拓、牡蠣の安定供給を目的とした卸売事業を展開しています。
東証上場企業約3,500社を見渡しても牡蠣を生業とする企業はまずありません。
外食の世界で敬遠されてきた生牡蠣を“安全” な食材とすることに徹底的に取り組むという、
誰も踏み込まなかった領域への挑戦によって上場を果たした社長の吉田氏と常務取締役の森田氏に、
これまでの軌跡とIPOの際のご苦労や、今後の構想を伺ってみました。
(弊社担当コンサルタント:佐藤/インタビュー同席)

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誰もやったことのないビジネスを。
須原

この度は上場おめでとうございます。

吉田氏&森田氏

ありがとうございます。

須原

吉田さんは創業される前にエイベックス・グループという国内最大の音楽産業にいらっしゃいました。 なぜ、そこから牡蠣に目を付けられたのですか?

吉田氏

音楽業界に就職したのは、学生時代のディスコでのアルバイトの流れからです。 当時の時代的な盛り上がりもあり、これはすごいビジネスだと感銘を受けました。 エイベックス時代は海外に行く機会も多く、欧米に行くとよく目にする“オイスターバー”が、なぜ日本にないのかと疑問を抱いていました。 欧米では生魚を食べる習慣は、ここ20〜30年なのですが、唯一牡蠣だけは昔から生で食されていたのです。 世界的にも歴史と文化がある生牡蠣を日本でももっと広めることができるのでは?と思ったことがきっかけでした。

須原

エイベックス時代から起業は考えていた?

吉田氏

自分の責任でいつか起業したいという思いはありました。独立するなら、誰も手を出さない生牡蠣しかない。 あたる食材ゆえに障壁も高く、競合も入りにくいはずだと。

須原

起業のリスクは考えられましたか?

吉田氏

いいえ、何も。 野望や野心を抱いて、起業しました。 しかし、それだけでは会社経営はできないと途中で気づかされました。

須原

それは、どこかで大義や志が必要になったということですか?

吉田氏

はい、2006年のノロウィルスの大流行で大打撃を受けたときです。 それまでは会社を大きくしてやろうという一心でした。この年に、銀行から資金を調達して10数店舗を一気に出店し、IPO準備もし始めた矢先に、ノロ騒動による風評被害で売上は激減。 借入金も重くのしかかり、もうダメかもしれないという状況に追い込まれました。 そのとき私は原点へ立ち返り、何のために仕事をしているのかを考え直しました。 私たちが目指しているのは“日本全国の皆さまに安心して牡蠣を召し上がっていただくこと”だと。 そこから目が覚めて、会社をつくり直していったのです。

須原

2006年が御社の転換点だったと。では、2011年の震災時はいかがでしたか?

吉田氏

幸いにも売上は既存店で対前年を上回りました。 これはやはり2006年の危機を乗り越えて、2007年から安全面の施策をしっかり積み上げてきた結果だと思います。 しっかりやっていればお客さまにも評価していただけるというのが、震災で分かりました。

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東証審査の承認を 待つ時間がハードでした。
須原

CFOの森田さんは3年前に参加されましたよね?

森田氏

はい、入社から丸3年で上場できたというのは出来過ぎかなと感じています。

吉田氏

森田は都市銀行を経て、東京駅の八重洲地下街を経営する会社に所属していました。 私たちの店舗を2003年に八重洲地下街に誘致してくれたのが最初の出会いでした。 2006年の危機のときに、銀行にリスケジュールをお願いする際のアドバイスなどの相談をできたのが森田だったんです。

須原

IPOする会社はCEOとCFOが一枚岩になっているところがほとんどですが、ビジョナリーなCEO吉田さんと、冷静且ついぶし銀のCFO森田さんが出会ったときにIPOは8割型決まったという感じでしょうか。

吉田氏

そうかもしれないですね。 森田には何でもさらけ出すことができて、当社の悪いところも良いところも知ってもらっていたのが良かったのだと思います。

須原

そして、2013年から弊社でIPOの支援をさせていただきました。

吉田氏

IPOは初めてですから、どのレベルまで準備しなければいけないのか判断もつきません。そこでプロフェッショナルを外部から招こうということになったんです。ただし、週1回の訪問とかではなく、社内に入り込んでやっていただける御社がベストでした。

佐藤

特に昨年の夏以降、東証の審査が始まってからは濃密な時間をCFOの森田さんと過ごさせていただきました。

森田氏

毎日が終電でしたね。 忘れられないのは、東証のヒアリングや社長面談、会社説明などが一通り終了して、あとは承認を待つのみとなった2週間。 この期間がいちばん辛かった。 最後の1週間は眠れないほどでした。 毎日のように東証から連絡が来ては、その度に佐藤さんに横で待機していただき、返答をサポートしてもらいました。 非常に心強かったです。

吉田氏

佐藤さんの対応力は本当に素晴らしかった。

佐藤

上場するまでは気が一切抜けなかったです。 承認がおりたと言っても、何かあったらダメになってしまうのではないかという緊張感がありました。

須原

東証の面談はいかがでしたか?

吉田氏

非常に具体的な質問が矢継ぎ早に飛んで来ました。

森田氏

私もかつて銀行員時代に、大蔵省の立入検査に立ち会いましたが、東証はそれを上回るほどの厳しさでした(笑)。 審査が終わってからもまた業績を追われ、上場間際まで気を抜くことはできなかったですね。

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あたらない牡蠣をつくる。
須原

IPO後の構想を、お話できる範囲で教えていただけますか?

吉田氏

これは投資家の皆さんにもお話をしましたが、生牡蠣は誰も扱いたがらなかった食材です。 安全面というハードルが非常に高いのですが、これさえクリアすれば、新しいビジネスチャンスは無限大に広がっています。 安全面がネックで、扱いたくても扱えなかったホテル、百貨店の鮮魚売り場など、お客さまはたくさん待っています。 そのために私たちは、安全を軸に自分たちで牡蠣の種苗・生産から販売までを一貫して管理する体制をつくりあげて来ました。 広島県と富山県には牡蠣の浄化施設を、愛媛県には種苗生産拠点を、そして沖縄県には陸上養殖実験施設をつくりました。 現在は、岩手県大槌町に牡蠣加工工場を建設予定です。

須原

まさに御社が掲げる六次産業化のフロントランナーですね。

吉田氏

はい、一次産業である牡蠣の生産事業、二次産業である牡蠣の加工事業、三次産業である牡蠣の卸売・小売販売事業を一貫して行う産業化のことを私たちは六次産業化と呼んでいます。一次、二次、三次を乗じて六次産業。特にいま沖縄で取り組んでいるのは、“あたらない牡蠣”という、天然ものとはまったく違う次元の高付加価値商品の開発です。

須原

あたらない牡蠣ですか。

吉田氏

既存の海での養殖とはまったく違う、陸上での養殖に挑戦しています。

須原

技術的な目算はあると。

吉田氏

はい。 現在、東京大学と共同研究を行っています。 まだ、誰も実現してない領域を私たちが切り拓いていきます。

須原

実現できたら需要は爆発的に伸びますね。

吉田氏

それはもう一気に。 例えば、百貨店のバイヤーさんは100%安全だったら絶対に使うと言ってくれています。 だから99%では出せないんです。 今の私たちの広島や富山の浄化施設ではまだ99%です。 99と100の間にものすごい壁があって、この壁を突破するための研究に今まさに取り組んでいます。

須原

では、それが実現し、需要が取り込めたときには一部上場ですね。

吉田氏

いきたいですね。

須原

ニューヨークのど真ん中に御社の店舗が出るかもしれない(笑)。

吉田氏

いいえ、私たちはお店で大きくなっていきたいわけではありません。 生牡蠣のバリューチェーンを構築したいというのが真の狙いです。 店舗はチェーンの中の一機能でしかないのです。

須原

だから、御社はただの飲食業ではないとおっしゃっているんですね。

吉田氏

はい、そうです。

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CEOとCFOの両輪で。
須原

CFOとして、森田さんは今後どのように社長を支えていかれますか?

森田氏

リスクを取って未開の地を切り拓いてきたのが社長です。大げさに言えば、日本の株式市場、いや、日本の産業史に名を残すくらいの成果だと思っています。 だから、社長の思いを実現できるように、私は会計財務面からサポートしていきます。

須原

いえ、決して大げさではないと思います。

森田氏

従業員にも伝えていますが、あたらない牡蠣を実現して、子や孫の世代へ伝えていきたい。 そのときに喜ぶ社長の顔が見たいのです。

須原

いいお話です。 森田さんのようなCFOの存在は、実は今脚光を浴びています。 これまで日本の企業は、消費者に対しては真摯に向き合って来ましたが、資本市場に対してはコミュニケーションが不足していました。 これからは資本市場、投資家に対しても真摯に対応して、企業価値を高めていくことが求められています。これを担うのはまさにCFO。 これからさらに伸びるか伸びないかは、CEOのビジョンとCFOの資本市場との対話力、この両輪が必要になってくると感じています。

吉田氏

おっしゃる通りだと思います。我々も初めてロードショーをする中で、資本家の質問は目線が違うと感じました。 だから、私たちはもう一段違う視点で、資本市場を多面的に捉えないといけないと感じています。

森田氏

私はCFOとして、資本家の皆さまへ良いことも悪いことも正直に開示して、対話をしていこうと思っています。 そういう会社のほうが結果的に信頼されていくはずです。 このIRの姿勢だけは崩さずやっていくつもりです。

須原

では、最後に弊社に期待することはございますか?

吉田氏

御社の佐藤さんに協力をいただいたおかげで、この短期間でIPOの実現ができたのだと感心しております。 本当に感謝しています。 手薄になりがちな管理部門をサポートしていただける御社は、私たちのような会社にとって不可欠な存在です。

森田氏

エスネットワークスさんはCFO輩出を掲げられているからでしょうか。 佐藤さんと一緒に仕事をすることで、私たちにも戦略のストラテジー・シンキングやマインドが形成されました。これは本当に良かったと思っています。 私がいろいろ考え悩んでいたときも、良き相談相手として常に側にいてくれて助かりました。単にIPOの手続きサポートだけではなく、組織までも変えてくれた。これが御社の非常に良い点ではないでしょうか。

須原&佐藤

ありがとうございます。

佐藤

逆に、私が学ばせていただいたのは、CEOとCFOのあるべき姿を見せていただいたことでした。 本当に御社はバランスが良く、これがガバナンスやマネジメントのあるべき姿だと、リアルケーススタディで学ばせていただきました。 これからも引き続きご支援させてください。

吉田氏

もちろんです。 私たちもまだまだ発展途上の会社ですので。

編集後記

豪放磊落。明朗快活。2年前、吉田社長にお会いした際の第一印象です。経営者には、着想や構想のスケールが大きく、且つオープンな性格の方が多い一方で、多くの経営者が表の顔とは違った一面を持ち合わせていることもまた事実。 インタビューに答える吉田社長が、時として見せる真剣な眼差しや真摯な表情から察するに、内側の吉田社長は、沈思黙考する内省的な性格も併せ持っている。 と感じました。 この吉田社長の内なるパーソナリティと、森田CFOの冷静沈着且つ用意周到な人格とが共鳴しつつ、豪放磊落で明朗快活な表の性格が事業をブルドーザーのように推進していく。 ヒューマンウェブさんが、牡蠣という業態で史上初の上場を成し遂げた秘訣は、CEOとCFOの絶妙なコラボレーションにあった。 外食業態のSPA(6次化)のフロントランナーとしてこれからもヒューマンウェブに期待していきます。

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