企業の成長の理由。

株式会社インテリジェンス 代表取締役兼社長執行役員 高橋 広敏

1995年早稲田大学第一文学部卒業、同年株式会社インテリジェンス入社。1999年取締役、2001年常務取締役就任。人材紹介事業、人材派遣事業、全社機能(管理部門)、メディア事業の管掌を経て、2008年12月、代表取締役兼社長執行役員就任、現在に至る。

企業が成長を果たすとき、
経営者はどのような決断をしたのか?
そのポイントは何だったのか?
成長のヒントを探るべく当社代表の須原伸太郎が
クライアントの経営者に迫ります。

1989年、4人でスタートした総合人材サービス企業 株式会社インテリジェンスは、現在、グループ従業員数4,785名、売上高約807億円、営業利益約78億円(13年3月期)と、業界トップクラス企業へ成長を果たしました。創業から今年で丸24年、創業当時からの参画メンバーであり、3代目社長である高橋広敏氏に、これまで見てきた成長の景色とターニグポイントをお聞きしました。

人材サービスのインフラに!

須原
創業期はどのような日々を過ごされていましたか?

高橋氏
毎日が精一杯(笑)。「人材サービスのインフラになろう!」と旗揚げをしたものの、威勢はいいのですが、目の前の企業さまのお役に立つことで精一杯。これで本当に会社は大きくなるのか?と思っていました。

須原
転機は?

高橋氏
95年です。人材派遣業に参入する意思決定後です。

須原
合議で決められた?

高橋氏
はい。派遣マーケットをリサーチしたところ、94年当時は約1兆円、業界トップ企業の売上高でもまだ1,000億円前後。この状況は無限の可能性があると捉えました。社会的背景も人材が流動化し始め、まさに成長が始まるマーケットでした。

須原
派遣が契機のひとつとなり、IPOを視野に入れた成長拡大期へと移っていった。

高橋氏
そうですね。派遣を始めた95年春には新入社員20人を迎え一気に60名体制になりました。そして97年には人材紹介業にも参入。97年は山一證券の倒産もあり、転職を余儀なくされる優秀な人材が溢れ始め、この人たちをサポートすべきだと考えたのです。そして、98年には社員100名を突破、00年には派遣と紹介は当社の2大看板事業にまで成長しました。

須原
00年のときの組織は?

高橋氏
当時は社長を筆頭に取締役、マネージャー、社員の4階層でした。その頃、須原さんに財務や経理で相談させていただき、IPO前はエスネットさんのノウハウが頼りでした。

須原
こちらこそお世話になりました(笑)。

高橋氏
それまでは能力のある社員に経理や総務なども任せて、お客さまと直接関わらない部門は限りなく小さくという企業風土がありました。しかし100名を超え、事業もそれなりの規模になると、内部統制や財務体制の影響でお客さまにご迷惑をおかけしてしまうことが許されない状況になった。それで、須原さんにご協力いただきました。


見た目に反した堅実経営の実践

須原
当時、インテリジェンスさんは学生からも人気企業でした。

高橋氏
急成長企業という背景もありましたが、ブランディングも行っていました。だから、実力以上の人材が採用できました。これは我々の本業ですから、採用が上手なのは当然です(笑)

須原
そうですよね。インテリジェンスさんは派遣業と紹介業という新事業に挑戦し、組織を階層化し、自分たちの専門分野のノウハウを活かして優秀な人材の獲得に成功し、100名を突破しセンスによるところなのでしょうか?

高橋氏
いいえ、これは努力です。派手な外見の割に、実は堅実でした。それこそ給与も新人の年俸が約350万円に対して、経営陣はせいぜい3倍程度でした。

須原
毎年、増収増益!にこだわり、年度末になるとマメに電気も消すほどの徹底ぶりでしたね。

高橋氏
営業利益が10億円を超えてもそうでした。

須原
IPO後、経営陣はどんな絵を描いていたのでしょうか。

高橋氏
上場益を利用して、派遣業ではM&Aを、紹介業では人員増の絵を描きました。東京、大阪、名古屋、札幌に自力出店し、東北や広島、九州は派遣会社をM&Aして、地域拡大を図り派遣業と紹介業を純増させていく。そして、3つ目の新事業、ペイロールを立ち上げました。

須原
上場を機にやろうと思っていたことを一気にやられた。

高橋氏
はい、上場後の02年で従業員数は1,000人、組織は6階層に。当時、私は紹介業の責任者として400人を束ねていました。一方でIPO後の02年は増収減益になっていました。ITバブルの崩壊で、02年度の決算時の株価が急落するという背景もありましたが、減益という結果を受けて、もう一段組織を洗練させようと、03年からIPOで拡散した事業を再び集中させた結果、06年まで最高益を更新という状況も生まれました。IPOの時点で売上高120億円が06年には600億円。順調に成長したと思います。


そして社長へ 2つの決断

須原
06年に学生援護会と経営統合。スケールが違います。

高橋氏
はい、まったくの異文化の同じクラスの企業同士が一緒になることの難しさを痛感しました。一緒になって良かった、と声が出て来るまでに3〜4年を要しました。今では求人メディア『an』というブランドは、私たちにとって多大なる資産となりました。

須原
そして高橋さんが社長へ。

高橋氏
はい、リーマンショックも起きて減収減益という、最も苦境に陥った時期です。

須原
就任したときの思いや当時決意したことはございますか?

高橋氏
創業時の目標だった「人材サービスのインフラになる」ことを改めて決意しました。あとは「潰さない」こと。当時は危ない状況でしたので。このふたつを守るためだったら何でもやると決めました。正直、思い出したくはないです。実際に職場からは3人に1人、仲間がいなくなりました。

須原
相当なご心労でしたね。

高橋氏
社長として、そこからのスタートでした。でも、残ってくれた人たちは辞めざるを得なくなった人のぶんまで活躍をしてくれて、ありがたかったです。しかも、08年に上場廃止、窮地を乗り切るためにUSEN(※)にご協力していただいて、インテリジェンスは子会社になりました。でも、USENも苦しい。だから私たちにまだ価値があるのであれば、新たな株主と次のステップへと、外資系ファンドKKRのポートフォリオカンパニーになりました。

須原
KKRは世界で名だたる案件を手がけてきたファンドで、インテリジェンスさんが日本第1号案件となりました。この経験から得たものはありますか?

高橋氏
説明責任です。上場以上に求められました。気になる事案はすべてレポートが求められ、我々からすれば手間3割、メリット7割の感覚です。事案はきちんと整理しテーブルで決めていくため、フェアですし、意思決定はしやすかった。あと、ROI(投下資本利益率)。非常に厳しく、それが我々に更に知恵を絞るというプロセスを生み、事業の精度も成功確率も上がり、安心して事業ができるという好循環が生まれたのは良かった。


現実になる創業期のかけ声

須原
そして13年4月のテンプグループとの統合。これはインテリジェンスさんが掲げた「人材サービスのインフラになる」のスピードアップにつながりますか?

高橋氏
この統合で時間短縮が図れると考えています。テンプグループの志に私たちは共感していますし、業界の中で何を成すべきかというビジョンも一緒です。互いに持ち得ていないメニュー、拠点、それぞれだと届けられなかった個人や法人のお客さまにサービスをお届けできるようになります。

須原
着々と目標へ。

高橋氏
はい、個人・法人を含め年間数10万人の方と関わることになりましたから、国内転職層が年間300〜400万人と考えれば、インフラのかけらくらいの役割を担っている実感は得ています。創業期、遥か彼方にあったあのビジョンが、本当に自分たちがやらなきゃというところまできました。あとはそれをどれくらい真っ直ぐ進めるか?じゃないでしょうか。

須原
では最後に、我が社では「100年続く、100億円企業の創造」をキャッチフレーズに、お客さまの持続的な成長を応援していますが、ぜひそのような志を持つ経営者さまにメッセージをいただけますでしょうか。

高橋氏
インテリジェンスが創業期から良かったのは経営者たちが自分の人生のライフサイクルと会社のライフサイクルを一致させていなかったことです。「会社はずっと自分たちのものではない。いつか君たちに継承するんだ」と公言し続けて、人を採用し育て続けてきた。これはすごく大きい。たしかに自分がリードしていることが正しい時期があると思います。でも、そうじゃない時期は必ず来ることを理解してほしいと思います。

須原
ありがとうございました。

編集後記

人材サービスのインフラになる。という大志を抱いて創業以来25年。
志は変わらない一方、事業形態は時代にあわせて巧みに変えてきたインテリジェンスの歩みは、企業の進化と成長のお手本です。
社名そのままに、聡明な高橋社長率いるインテリジェンスが、100年企業になるまであと75年。
不易(=志)、流行(=事業形態)を地でいくインテリジェンスに、これからも注目していきます。

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